第1話・1幕「禍乱(からん)」

天地を創造したのは盤古という巨人である。

世界がまだ闇と液状の混沌だけだったころ、盤古が生まれた。

盤古は気が遠くなるほどの時間をかけ、天にそびえるほどの巨人となっていった。

盤古は9つの姿に変化すると言われ、そのなかのひとつが鬼である。

そして寿命を迎え身が滅びるとき――それぞれの部位が砕け、天高く伸ばした指が天界に、胴体は人間界に、
体液は地上を溶かして地下に流れ冥界を創った。

最後に、盤古の涙が空間を裂き、その割れ目に流れこむ。

涙は湖となり、眼球は湖に落ちて陸地となった。

その4つ目の次元は異界と呼ばれることとなり、物語は、この異界からはじまる――。

異界は、半径100mほどしかない平坦な陸地を、遥か彼方まで続いている湖が覆っていた。

その陸地の真ん中に、『鬼ヶ島』と旗が立ててある。

旗の下で、オーロラが全天を覆う空を見上げている、茜色の和装の少女がいた。

名は茜舞。鬼族である。

446年前、日本では阿鼻叫喚に包まれた比叡山焼き討ちがあった。

信長が比叡山を焼き討ちした際に殺された者たちのなかに、多くの女や子どもがいた。

その者たちの無念が、火の粉に溶けて茜色に染まった空に舞ってひとつになった。

そのひとつとなった魂は、死者の念を感知できる鬼の頭領、酒呑童子(しゅてんどうじ)に拾われた。

そしてひとつの命として女の鬼の腹に宿らせ、転生させたのが、茜舞である。

面倒くさいことが嫌いな茜舞は、自分の出生について酒呑童子から聞いたがまったく興味はないようである。

この日は、人間界で花火大会がある予定で、久々に仲間たちとともに大好きな祭りに参加できるとあって、
心が踊っていた。

そのとき――

突如、オーロラに輝く空の向こうから、獣のうめき声が異界に響いた。

1度だけだったが、遭遇したことのないこの事態に唖然と空を見上げていると、頭のなかに女の声が響く。

念力で送られた酒呑童子の声である。

「至急、こちらへ。急げよ」

異界の異変に素早く立ちあがり、空に飛びあがって湖の向こうにある宮殿へ向かった。

――太古に発見されたこの異界は無所属の次元であった。そのため、冥界が酒呑童子へ配属させた。

鬼は盤古の姿のひとつであり、天界や冥界からも一目置かれる存在だったからである。

茜舞が生まれてからは、鬼ヶ島には茜舞が住み着いて独り占めをしているというわけだ――

かつて女神たちが住んでいた宮殿を模したそれは屋根がなく、玉座に酒呑童子が座っていた。

歳は人間でいう30代前半。つり目だが、背中まで伸びた髪は艷やかで、肌は桃色で透き通っており、天界も一目置くほどの美貌である。

茜舞が酒呑童子の前に降り立ったとき、童子はひょうたんに入った酒を飲みながら、コンセントなしに起動している小型のブラウン管テレビを観ていた。

「師匠、さきほどの……何事ですか」

と、いつものように落ちついた口調で聞いた。

そこに、小人の茨城童子が駆けてきて、

「師匠! いつまで飲んでいるのですか! 茜舞が来られておりますよ!」

酒呑童子は神族に匹敵する力を秘めているとされ、その力を維持するには酒をつねに飲みつづけなければならない。
そのため、つねに酔っているのである。

「見ればわかる。で、さきほどの鳴き声だが、閻魔から緊急通信が入っている」

と、リモコンでチャンネルを変えた。3人がテレビを覗きこんだ。

画面に映ったのは冥界である。

門をくぐって天国か地獄かへ向かうまえに、閻魔大王を含む10王が裁判をおこなう場所だ。

次に映ったのは、巨大な門であり、閉じられたその門の前に多くの死者たちが集まっている。

「ん? 何事だこれは」

酒呑童子が言うと、直後、高台にいる閻魔大王が映り、言った。

(酒呑童子、聞いているな! かなりまずいことになった。地獄で雷公が暴れている!)

雷公は、神界、冥界、異界の者であればだれでも聞いたことはある。

真っ白な毛に覆われ、狼に似たそれは、城ひとつと同じほどの大きさの怪物である。

かつて太古の日本で、日の巫女と戦い滅びたはずの神獣。

盤古が滅びるとき、その声は雷となったという。その雷が人間の邪念を吸収し、生まれたのが雷公と言われている。

雷公が放つ雷は空間を裂き、あらゆる次元を行き来できるという。

茨木童子が一驚して、

「ど、どういうことでございますかぁ!」

閻魔は、

(雷公の魂の一部が地獄に潜んでいたのだ。ひそかに魂を喰らいつづけ、いまは門と同じほどの大きさにまでなってしまっている。
あの門は地獄へ続くのだが、地獄からこっちへ向かっているらしい。出入り口はあそこしかない。あそこを突破されたらここはまずいことに)

「派手にやっておるな、閻魔」

酔った酒呑童子が言うと茨木童子が、

「師匠! それどころじゃないですよぉ!」

直後、死者たちが門を押さえた。

(まずい! 来た!)

閻魔が叫ぶと、衝突音とともに門が激しく蹴破られようとしていた。

茜舞が、

「急ぎ、みなを天国へ避難させては」

(この人数だ、無理がある! 酒呑童子、仙界を頼って雷公を倒せ。仙界には伝えてある。もし雷公を
放っておけばすべての次元を食らいつくされる!)

直後、門が大破して雷公が死者たちに襲いかかった。

冥界を守護する兵たちが呪符で動きを封じるがすぐに破られてふたたび襲いかかる。

それを見て酒呑童子は、

「天国への門を破壊しろ」

茨木童子が、

「そんなことしたら、逃げ場がありませんよ!」

「天国の魂まで喰らわれると復活が早まる。そこに閉じこめておけば時間稼ぎにはなる」

「それってつまり!」

「早くしろ閻魔。どのみち――」

もう、だれも助からない。

覚悟した閻魔は、

(秦広王(しんこうおう)だけは救いたい。天国へ逃がすこともできたが、さきほど転生の手続きをすませてそちらへ
送った。もう一度、人間として人生を歩ませてやってくれ。頼んだぞ!」

そう言うと、破壊される天国への門が映しだされる。

死者を食らっていた雷公が急ぎ天国への門の向こうへ進もうとしたが道は閉ざされ、弾かれた。

怒った雷公は閻魔のいる高台へ駆けてきて――映像が切れてノイズが走った。

酒呑童子は――

「やはり、派手な映像を見るなら大型の液晶がよいな」

酔っていて話しても無駄だと思った茨木童子は、

「ままま、まずいです。茜舞さん、すぐに仲間を集めて仙界へ!」

とはいえ、酒呑童子の指示をあおぐべきであろう。

茜舞は酒呑童子にくちづけをした。すると、みるみる頬の赤みが引いた。酒気を吸収したのである。

「あ、その手があった!」

茨木童子の表情が一瞬晴れた。

「毎度のことだが、酒気吸収のくちづけはなかなかくせになるな」

「師匠! それどころじゃないって言っているじゃないですかぁ!」

すると、はじめて真面目に落ちついた声で、

「まあ、焦るな。どの道、もう冥界は助からない。それでも、死んだ者は冥界に送られる。
これがどういうことかわかるな」

茜舞に問うと、

「死者が人間界に漂うことになります」

「そうだ。成仏できない魂は怨霊となって、ときには妖怪や悪鬼となって人間を襲うだろう。
まずはそれを始末する者と、仙界へ向かう者とに分けなければな」

「雷公はどうなるでしょうか」

「冥界といっても地上と同じほど広い。しばらくは死者を探して喰らい続け、力を蓄えるだろう。
時間はまだある」

直後、空から少年が降ってきた。茜舞が気づいて受け止め、衝撃で倒れこんだ。

「茜舞さん、だいじょうぶですか!」

「あ、ああ、だいじょうぶ」

倒れたまま、気を失っている少年の顔を見ると、まだ歳は12ほどの幼い顔立ちをしていた。

酒呑童子が立ちあがり、茜舞は玉座に少年を座らせる。

茨木童子が、

「師匠、この子が秦広王ですかぁ?」

酒呑童子は、秦広王の顎を軽く持ち上げて、

「そうだ。何度かテレビごしに見たが、かわいくてたまらんなぁ」

「師匠、秦広王とは?」

と、秦広王のことを知らない茜舞がたずねた。

秦広王は10王のひとりで、冥界裁判の初審を務める。

「10年前ぐらいか、まったく泳げもしないのに、大きな川で溺れていた同い年の娘を助け、
自分は死んでしまったのだ。閻魔にその行いを認められ、裁判官に推薦されて冥界選挙で秦広王の座についた」

そのとき、秦広王が眠ったままうなされて、

「閻魔様……」

と悲痛な表情を浮かべた。

「かわいそうに。閻魔は父のような存在だったであろうに……」

と、酒呑童子は憂い顔で秦広王の下唇に人差し指を滑らせた。

「茜。まだ時間はあるが、できる限り早く面子(めんつ)を揃えろ。
2日後、仙界へ向かうぞ」

「仙界になにがあるのですか」

「仙界最強を誇る8仙が持つ法器(武器)と、7仙姑(しちせんこ・仙女)が持つ7色の勾玉。それがあれば、
雷公を止められるはずだ」

茜舞は、人間界が夜になると地上に降り、祭りに参加した仲間たちの招集を開始した。