李鉄拐(りてっかい)と紅衣仙女(こういせんにょ)の決闘の場は、どこまでもつづく大草原である。
茜舞にとってはどうでもいいことであった。
無意味な風、無意味なプライド、無意味な時間。詮無い決闘。
だが天界もいちもく置くと言われるその実力――この際、最強の行方を見届けるほかあるまいと溜息をついた。
勝ったほうが指揮を執るという約束なのだから、どうせならやりやすいほうが勝ってくれればそれでいい。その程度であった。
いやむしろ、相打ちになってくれればおそらく師匠の酒呑童子が指揮を執ることになり、やりやすくなるのでは、と。
だが円化(まどか)が言う。
「もしお互いがむきになって、雷公と戦うための武器が破損したりするとまずいんじゃ。やっぱり止めましょうよ」
と、酒呑童子と茜舞に言う。確かに。そうなれば、まずいことに、かなりまずいことになる。
茜舞は近くにいた西王母にそれを伝えようとしたとき、決闘がはじまった。
ふたりは砲弾のごとく天高くあがる。
「剣は出さないのか」
「女に素手で負けたときの泣きっ面が見たくてね!」
紅衣仙女と李鉄拐が、七色と八色のオーラをまとってロケットのごとき速度で火花を散らす。
ヒットアンドアウェイを繰り返すこと八回。手首でつばぜり合うなか――
「下の連中には聞こえない。本当のことを言ったらどうだ。妬いているんだろう? 織姫との関係に」
「天界の女にうつつを抜かしているのが気に入らないのよ。仙人のくせに!」
「オールドタイプか。人間界のグローバル社会という言葉を知らないのか?」
「人間の言葉はもっと気に入らない!」
増幅した紅衣仙女のオーラに吹き飛ばされ、体勢を立て直すまもなくあごに掌底打ちが入った。
落下していく李鉄拐に急降下で向かっていく紅衣仙女。オーラを全開させ体勢を立て直す。
武術と武術が火花を散らす。
裂ぱくの気合が生む一閃一閃の刃風が地上の一同に突き刺さり、仙人よりも実力面ではるかに劣る茜舞や円化の着物や皮膚を小さく切り裂いた。
ついに蹴りをさばいた李鉄拐の強拳が紅衣仙女の頬に入った。
チャンスとばかりに追撃しようとするが、紅衣仙女が傷心の面持ちを見せた。相当の強打だったのだろう、一瞬痛みに顔をゆがめながら、
低速で地上に降りていった。
着地し、向かいあう。
「まさか戦意喪失、かな? 女に本気を出すなんて、などという顔をしているがこれは生き残りをかけた決闘だったはず」
「あんた、本気でやってたの?」
「あたりまえだ。そもそもおまえが言いだしたことだろう。ん? まさかまだ本気を出していなかった、などとは言わんだろうな?」
と挑発する。
「……むかついた」
紅衣仙女が右手をあげると、その手に霊剣が出現した。
「貴様、素手の勝負だったろう!」
剣が天高くのぼっていくと、無数の剣となって李鉄拐に襲いかかった。
紅衣仙女が千年の修行を傾けた秘術である。霊力を帯びた右手で高誘導させ、霊力がつきるまで飛来は止まらない。
「こっちに来るんじゃねえぞ!」
と八仙のひとりが叫んだ。
神速で5百本を回避したところで、足をかばうような仕草を見せた。痛めたのか、だが回避行動に影響はない。
気づいた者もいたが、気づかぬ者もいた。
たまらず、ついに李鉄拐は仙界が誇る武器、暗八仙に手をだした。
懐からひょうたんを取りだすと瞬く間に人と同じほどの大きさとなった。
剣から距離をとってひょうたんを地上に立て、
「集まれ!」
と叫ぶと、数百という剣がひょうたんに吸引されていく。
「さあ、来い!」
とさらに叫ぶと、紅衣仙女も吸いこまれそうになり、オーラを全開にしてふんばったが――
「これに吸いこまれれば瞬きをする間もなくこの風に切り刻まれバラバラの粉末と化す。どうあがこうと逃れるすべはない。さあ、もう諦めたらどうだ。
負けを認めればなかったことにしてやる。認めぬならこれまでだ!」
直後、仙女はあきらめたように、ひょうたんにすいこまれていった。
ポンっと音がして、なかから煙があがった。
予想外だったのか、李鉄拐は唖然とする。
「馬鹿なやつだ……目端がきくいい仙女だったがな……」
とつぶやいた。
遠くにいた一同も唖然としていた。
「姉さん……」
と織姫も立ちすくんでいる。
直後、ひょうたんが爆発し、李鉄拐は吹き飛ばされた。
煙が消えると、なんとなかから出てきたのは紅衣仙女である。
「姉さん!」
七仙女たちが歓声をあげる。
「馬鹿な……いったい、どうやって……まさか、護身霊石を使ったのか」
「あんたご自慢の仙界最強の兵器とやら、木っ端みじんね! わたしにはまだ霊剣がある。あんたの負けよ! あはははは!」
「……くくく……はーっはっはっは。馬鹿は貴様だ馬鹿が。あのひょうたんはスペアだ! おれが後先考えず本物を使うわけがなかろう! 九玄天女にこっそり
用意させておいたものだ。本物の吸引力はあんなものではない」
「ス……スペアだと?」
「それにだ、貴様は怒りに身を任せ、あのスペアを破壊するために自ら吸いこまれる作戦に出て、こともあろうに霊石を使ってしまった。
あの霊石は雷公を封じるために必要だったものだ。つまり貴様はこの雷公討伐作戦に穴を空けてしまったのだ。負けどころか牢獄行きになってもおかしくない
ことをしたのだ」
紅衣仙女は怒りのあまり、雷公討伐のことなどすっかり忘れてしまっていたのである。
紅衣仙女はひざをついた。歓声をあげていた仙女たちは愕然とし、八仙たちは李鉄拐が勝利するも、もろ手をあげて喜べない。
西王母が言う。
「この戦い、八仙の勝ちとします。指揮は八仙が執り、七仙姑は従うこと。いいですね? 霊石の件、天帝はお怒りになるでしょうが、この戦いを認めたわたしにも責任があります。
責任はわたしが取りましょう」
と、西王母と東王父は引きあげていった。
まだへたりこんでいる紅衣仙女を、七仙姑たちが立ちあがらせる。
「お父様には、わたしが謝ります。わたしにも責任があります」
と織姫が言うと、
「……しなくていい」
と、紅衣はつっぱねた。
引きあげていく仙女たちを横目に見ながら、八仙のひとりが言う。
「足、だいじょうぶか?」
「心配ない。一瞬のことだ」
鬼は耳がいい。どの程度かはわからないが、李鉄拐はもともと脚を痛めているようである。
戦いをまえに、大事に至らなければよいのだが。
茜舞は、空を見上げていた。ふたりの戦いを思いだすように。
戦いがはじまるまえは、すべてが無意味だと思っていた。
だが違った。あの仙人たちが力を合わせてもなお、倒せるか、倒せぬかわからない敵、雷公。
いま、自分はその戦いに身を投じようとしている。人間界に多くの仲間を抱えながら。自分になにができるのか、いまだわからぬまま、その場をあとにした――。